こんにちは!デザイン営業部の酒井です。
今回は、信州ブランドフォーラム招待講演のレポート記事をお送りします。
富山高岡市にある株式会社能作の代表取締役社長・能作克治氏による講演が行われました。
今回の講演のタイトルは「素材とデザインで市場を拓く」。
このフォーラムでは信州の工芸を今の生活に生かすための取り組みを支援する動きも活発的に行っていることから、新社屋や工場見学で今話題の、株式会社能作の変遷と取り組みという、大変勉強になるお話しを聞かせて頂きました。
▶ウェブサイト株式会社 能作
能作について
能作は、今年で創業101年の鋳物の技術を持つ会社。
加賀藩主の前田利長が “高岡”の町を開いたことを機に、“商工業の町”としての発展を遂げることになりました。高岡の7人の鋳物師(いもじ)を招いたのが今に続く高岡銅器の始まりで、能作は、大正時代から仏具、茶道具、花器を中心に鋳物の技術を活用して作ってきました。現在はテーブルウェアやインテリア雑貨、照明器具や建築金物などを手掛け、街中の生活用品を取り扱うお店では能作の商品を見かけます。
11の直営店を持ち自社の商品を発信、販売をしています。直営店を持つ理由は、きちんと伝えて売りたいから。もともとは鋳造の技術で真鍮を素材として製品を作ることが多かったそうですが、近年は錫(なまり)を使った製品が特に人気を得ていると言います。
公式オンラインショップ | 株式会社 能作
伝統工芸が売れる商品になる工夫
能作100周年の記念展として開催された「100のそろり」でもおなじみの「そろり」は、能作で昔から作られてきた形の花器の色を変えるというシンプルなリデザインで、売上が上がるようになりました。また、人気商品のテーブルウェア「KAGO」は、錫の持つ曲がることを強みに、引っ張ることで形が変わる製品です。「錫の持つ曲がる」という特性は、これまではネガティブにとらわれがちな要素でしたが、それを強みにした製品が人気を博しているのです。
(写真引用リンク:http://www.nousaku.co.jp/main/category/products/)
既存の枠にとらわれないデザインや、技術の探求。「待たせることは美徳ではない、工芸品だからと言って、「人気だからこの製品は半年先まで予約待ちです。」は違うはず。努力をしないといけないと考えています。」そう語る能作氏ですが、今の能作が形づくられるまでの道のりは、決して簡単な道ではありませんでした。
「旅の人、能作克治氏」
富山弁に、「旅の人」という言葉があるそうです。これは文字通り旅人を指すこともありますが、県外から来た人を呼ぶときにも使われることであり、ときにはこの言葉が富山県の封建的な側面を示すとも言われます。
能作克治氏は「旅の人」であり、結婚するときに伝統を守るためカメラマンを辞めて「婿」として創作で職人の仕事を始める。さらには鋳物師という職業自体が下に見られることもある、三重苦からのスタートでした。
しかし、旅の人で「何も知らない」、だからこそ町の人から教えてもらったことがたくさんあり、だからこそ今の能作がああるので、地域に恩返しをしたいという思いを強く持っていることが話の端々からも感じられます。
能作克治氏が能作で職人として働き題した当初は茶道具を作ったり、例えば池坊の花器を作ったりとマニアックな商品を制作することが多かったそう。
そんな中で2001年原宿にて展示を行い、着色せず素材本来の色を展示を行いました。そこに来た大手の雑貨を取り扱う店が、「能作のベルを置きたい」と言ってくれて実際に店頭に並びました。ベルは数ヶ月で3つほどしか売れませんでしたが、ベルを見た店員さんから、「音が綺麗だしスタイリッシュだから、風鈴にしたら?」という声が上がりました。
確かに日本の日常生活においてベルを鳴らす習慣のある家はそうそうないかと思われますし、ベルを活用する場面は滅多にありませんが、風鈴は夏の風物詩。また作り手としても、洋風のものを和風に転換するという発想は革新的でした。
店員さんの声をきっかけに作った風鈴は3ヶ月で300個、ベルの100倍も売れたのです。
(写真引用リンク:http://www.nousaku.co.jp/main/news/04142014/)
販売の広がり
能作は「営業はしない」というルールがある、と能作氏は語ります。
ギフトショーやライフスタイルショーなどに出店し、使いたいと言ってくれる方に扱ってもらっています。また、海外と日本では色や使うものも変わってくるので、その場所にあったものをピックアップすることも、とても重要です。
例えば海外では比較的真鍮が好まれ、赤、緑、金などの結婚式のような印象の色が好まれ、日本人は錫が好きで黒、白、銀などお葬式で使われる色を好む傾向が見えたり、
ビールを冷たく冷やす習慣の国なのか、瓶から直接飲む習慣なのか、常温なのか。それによって売れるものも変わってきます。
その土地に合わせた商品開発あってこそ、買ってもらえるということもあるのです。
また、能作では二十数名のデザイナーとお付き合いして製品を作っていると言います。「デザインを裏切らないこと」が大事であり、能作の場合はロイヤリティはその商品を売り続ける限り、変わらず払われます。
株式会社能作 新社屋オープン
株式会社能作は新社屋が4月27日にオープンし、DSA空間デザイン賞、銀賞JCDデザイン賞 BEST100にも選ばれて話題となっています。
旧工場には、工場見学に年間1万人が訪れるようになり、新社屋を持つ運びになったそう。高岡はものづくりのであるから、実際のものづくりを見せる意味からも工場見学を行います。
また、見学者からの生の声は働く社員のモチベーションに繋がったり、自然と社内環境の美化、掃除の徹底にもつながると言います。新社屋には想像以上の観光客が集まり、思っていたよりも施設内でお金を落としていってくれる方も多く、当初の想定とはちがってとんとん、くらいの損はしない運営をできているそう。
これからの日本は競争ではなく共想・共創の時代。また、地域のためにできることをしたいという公園の初めから語られる思いにも共通した取り組みです。
能作に来たら次に他の富山の訪れてもらえるように!と作った観光カードは社員がオススメの場所へ取材に行き作成。実際に鋳物づくりを体験したい!という方も多く、NOUSAKU LABも大人気です。
(写真引用リンク:http://archivision-hs.co.jp/(株)能作-新社屋・工場/)
なぜ産業観光なのか
約20年前、工場見学でいつものように汗水垂らして働く姿を前にして、見学に来た親子の親の発言「勉強しないと、あのおじさんみたいになってしまうよ」という言葉が衝撃的だったと言います。その言葉は、見学に来ているといえど、知らないから出てくる言葉である。
社員も誇りを持って働き、鋳物の素晴らしさを知ってもらうらうための仕組みが能作にとっての産業観光につながるそう。
富山では学校の授業としてものづくりの現場に触れる時間があり、かつて能作へ見学に来た子供が鋳物に興味を持ち大学でも学び、実際に能作に入社して制作に励んでいるという事例もあり、やり続けるからこそ意義が出ることも多いと言います。芽が出ないからといって3年、5年で辞めてしまうのは勿体無い。仕事を楽しみ、楽しむ。
そして、地域貢献日本貢献なくして広がらない。そんな力強いお話を聞かせていただくことができました。
○おわりに
質疑応答のなかで、「新工場のユニークな企画はどこから出てきたんですか?」という会場の問いに対して能作氏の答えは「全部社内からです。前の工場見学では臨場感がありすぎたけれど、その分スタッフも慣れているし、声をかけられることがモチベーションになる。自然と掃除もする。」というもの。
約140人の社員がいて若者が多く、「ロゴを変えないこと、グラフィックデザイナーは同じ人に頼み続けるなどはしているが、ブランドを意識しての動きはほとんどしていない。」
そんなことってあるのか?自分の会社に置き換えた時にそれぞれが刺激される内容があったのではないでしょうか。本物を、誇りを持って作る会社の物の魅力、人財の魅力、人が集まってくる活気。そんな力を感じる講演でした。